存在してても気づかれない。特に役にもたってない。それでも、元気にやってます。
夫とS駅の改札口で待ち合わせた。
改札は多くの人でごった返していた。
夫の姿を見つけた。
夫はJRの改札を通る人の群れから、たったひとり私の姿を探していた。
私は私鉄できたんだよ。JRじゃないよ。
声をかける前に、夫の姿を見つめた。
なぜか急に記憶が呼び覚まされた。


遠距離恋愛をしていた頃、彼に会うためにくる私を、彼は同じように改札で待っていた。
私を発見すると表情は一変し、やさしく笑った。


なんだか、目頭が熱くなった。
何百・・・何千の人込みから、たったひとり私の姿を探してくれる人がいる。


土曜の夕方は、若者達がくりだしている。
仲良く肩を組んだり、腕を組んだり、幸せそうに歩いてゆく。
あの頃の私達も、あんなふうだったのだろう。


人ごみではぐれないように・・・を言い訳に、彼の手をとった。
彼は私の手を、強く握り返した。
変わらないものが、いま私の手に触れていた。

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【2008/07/05 22:28】 | 記憶のかけら
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「今日は、お爺ちゃんの誕生日だね。」
先日、私がつぶやいた。
父が亡くなってから、ずっと父の誕生日を秘かに大切にしている私。
そんな私の思いを知ってか、長女が花を買ってきた。
私が飾っている父の写真の脇に、飾った。
変わったひまわりだった。
「おじいちゃん、ひまわり好きだったものね。」
そう、長女は言った。
・・・そうだったかな?
父が特に好きだったのは、母と苗木を買った数本の牡丹だったように記憶していたが・・・。
もちろん、十本はくだらないつつじや藤の花も愛でていた。
季節に咲き乱れる母の世話した草花も、愛でていた。
母の育てるひまわりは、なぜか2メートルくらいの巨大さだった。
夏休みなどに遊びに行った娘には、ひまわりが記憶に残っているのだろうか・・・。
母が父のために花々を咲かせていると思ったのかもしれない。
庭に咲く花は、すべて父に見せるためのものだったなら、ロマンティックだろう。
季節感を大切にする人だったから、このひまわりを喜んでくれているだろう。


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【2008/07/02 23:33】 | 記憶のかけら
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雪の街を見て思い出す風景がいくつかある。


卒論を書いていた時に、右手の小指に湿疹ができて痒くて痛かった。
私は、それが何かわからなかった。
「しもやけ」というものだと知人に聞いて、驚いた。
私の部屋の暖房は、コタツだけだった。
6畳一間だから、十分な気もしたが・・・寒い日はジャケットを脱げなかった。
手書きをしていると、小指が冷えたコタツ台に接触し続けたからだと思う。
流しは部屋の外、トイレは共同だった。
食事時は他の部屋の住人とそこで顔を合わせた。
向かいの同棲さんは、よく仲良く自炊していた。
自炊といっても・・・ガスコンロひとつだから、たいした物は作っていなかっただろうけど・・・。
かぐや姫の「神田川」とは、こんな感じなんだろうか・・・なんて思ったものだ。
「神田川」は兄が中学生の頃に聞いていた曲の一つだったように思う。
でも年代的には、兄よりちょっと上なんじゃないかしら・・・
東京での学生生活に憧れていた兄が、聞いていた歌が今も懐かしい。
「神田川」「22歳の別れ」「なごり雪」・・・当時は大学時代の切ない恋唄も多かったような・・・。
卒業したら帰郷する者にとって、携帯電話もメールもない時代は大きな選択を迫る季節が早春だった。
あの同棲さんのその後を、私はしらない。


ある朝、ひどく寒かった。
部屋の中でも、息が白かった。
窓の外が妙に明るくて・・・。


・・・・真っ白な雪の朝だった。

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【2008/02/09 07:59】 | 記憶のかけら
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狭いながら楽しく家族と過ごしている毎日。
時折、ふと学生時代を思い出す。


灰色の空から、今日のように舞い降りてくる雪を見ていると、思い出す風景がある。
兄のアパートと私のアパートは、徒歩では20〜30分かかった。
それでも、時折私は兄を訪ねて行った。


ある日、兄のアパートからの帰り道に、こんな風に雪が降り始めた。
それはクリスマスだっただろうか・・・
なぜか私は、とても寂しかった。
ホームシックだったのかもしれない。
「なごり雪」という歌とセットで覚えているけれど、どこかから聞こえてきたのだろうか・・・


H駅の前の大通りを反対側に渡り、細い道を入ってゆくと商店が並んでいた。
入って間もなくの所に、傘やげた?靴?を売っていた店があり、私はそこで赤い傘を買った。
道を何度も曲がる途中の目印の看板は、白地に黒い字だった。
「医院」という字が旧字だった。
医院の名前は・・・忘れた。
住宅地の中に酒屋があり、兄のアパートはその隣の2階だった。
薄暗い狭く急な階段を上った先に、兄の部屋はあった。
ドアを開けるとすぐに流しだった。
水色の小さい四角いタイルでできた流しで、すごく狭くて鍋を入れたらスペースはわずかだった。
ガス台は1つ。
6畳・・・4畳半?の1間。
押し入れは壊れていたのか、がたがたしていて、開けたらふとんや洗濯物がふってきた。
鴨居には、いろいろな銘柄の煙草の箱がずらりと並んでいた。
工事中の看板とか・・・意味不明なものは、友人達と深酒をした翌朝に出現したというから・・・勢いで持ってきちゃったのだろうか・・・・
兄は、そこで青春を謳歌していた。


当時はマンションなんかなくて、みんなアパートだった。
冷暖房も完備していないから、夏は窓を開け放した。
だから、窓の外の風景は、よく覚えている。
木の枝や空の色・・・
音もよく聞こえた。
お店の威勢のいい掛け声
子供の声
自転車の音
どこかから聞こえるラジオやテレビの音
流行歌・・・


今はそんなふうに音に耳をすませたことはあるだろうか・・・
眠れぬ夜をもてあますことなど、あるのだろうか・・・
自分がどんなにつらくても、世間はちゃんと回っている。
大丈夫、明日はちゃんと来る。
そんなふうに自分に言い聞かせながら過ごした夜。

今の娘達は、いやな事があっても即効携帯電話である。
あの小さな機械が、夜中でも家族や相手の都合も考えずにコミュニケーションをとる道具として大活躍だ。
彼女らは「時間がない」とよく言う。
私から見ると、携帯に時間を奪われているからだと思う。
携帯の画面ばかり見ていて、目の前にいる家族を見ていない。
そこにいても、彼女達は家族とは一緒にいないのだ。
居心地の良い部屋で、自分専用のコミュニケーションの道具(携帯やPC)をもち、小さな画面にくぎづけ。


長女がいつもいる部屋のベランダでは、彼女が私に送ったカランコエが咲いている。
ベランダでは四季折々の花が咲いている。
けれど彼女が気付く事はない。
私がベランダの花や、綺麗な夕暮れを知らせても、彼女の眼は液晶画面を見ている。
ましてや・・・音など気に留めているとは思えない。
小さい頃は、よく一緒に花を植えたり、空を眺めたりした。


空をみあげてごらんよ。
その機械も素敵だけど・・・もっと目の前にあるものを見てもいいんじゃない?

私達の学生時代の方が不便だった。
でも、兄にとっても私にとっても妹にとっても、とても素晴らしい時代だった。
思い出には、風景があり音があった。

彼女達には、何が残るのだろう・・・



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【2008/02/06 15:46】 | 記憶のかけら
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私は親として、3回経験した。
今も、塾通いの親子を見ると当時を思い出す。
もう、願書も締め切られる頃で、都外の県では受験が始まっているだろう。
彼らが、体調不良などの理由で、力を出せない事がないように、心からお祈りします。
第一子を中学受験させる頃、当時は受験塾は4年くらいからで十分といわれていた。
長女が通っていたのは、三分の一程度が私立に進学する小学校だった。
高学年になると、受験をする子と公立に進学する子の間に、微妙な空気が漂ってくる。
女子のこの時期は、ただでさえ問題が起こってくるのに、これは子どもにとってストレスになった。
親の中にも、受験に対しての意見は賛否両論。
受験を理由に役員などパスする家庭も増えてくるので、受験批判を耳にする機会も増えた。
テレビで見るはちまきをした受験風景は、抵抗を感じるし・・・
遊びたい盛りの子供に、お弁当を持っての塾通いは、かわいそうに思えた。
そんな訳で、中途半端な受験体制だった。
親としては、そこそこの苦労で、そこそこの学校に入ればいいと考えていた。
実際にその当時諸事情があり、家庭的に受験体制中心の生活をとれる環境になかった。
週末に学校説明会や文化祭が行われる。
6年にもなると模擬テストが入り、学校説明会などの参加もままならなくなった。
結果、学校説明会に出れたわずかな学校を受けたにすぎなかった。
それでも、第一志望校は過去問題の出来からも大丈夫だからと、楽観していた。
受験は何があるかわからない。
その学校を、長女は補欠で逃した。
公立に進学してリベンジも考えたが、子どもと話し合って滑り止めの学校に入学した。
受験をしていた子が、公立に進学する事は、子どもにとって屈辱的な事なのだ。
娘は、中学では成績上位者で、楽しい3年間を過ごした。
失われた自信も、なんとか持ち直した。
けれど高校になり、高校から入学してきた子達とは合わず、大学受験を考えた時に、レベルの違いにショックを受けた。
中学受験は、受験時の偏差値だけじゃなく、出口である大学進学実績を考えるべきであるという事を実感した。
彼女は大学受験で、本人的には不満な結果だったが、親は満足している。

そんな反省と経験から、次女の受験はハードルを高くした。
親としては、付属の大学にも満足ができる学校を第一志望に選んだ。
第二志望は、進学校的付属校でした。
成績がふるわなければ、付属大学に進学。
成績が良くなれば、他大を受験させる事ができる体制をとっている学校だ。
夫は、それ以下であれば公立に進学し、高校で納得のいく受験をしたらいいと考えていた。
二女は、なんとか第一志望に合格した。
ところが、高校2年になり他大を受験したいと言い出し、結局付属大学には進学しなかった。
彼女は6年間過ごした母校を今も愛しているし、良い人間関係は今も継続している。
けれど、大学には魅力を感じなかったのだ。
本人が進みたい学部など、親が思うほど子供は単純ではなかった。
ここまで予測する事は、小学生の時には難しいと思う。
結果、第一希望は叶わなかったが、持前のプラス思考で在学している大学でも楽しい毎日を過ごしている。

3回目は長男だった。
男子という事もあり、初心者のような緊張感だった。
はじめから、大学を意識して受験校は選んだ。
大学の学部も調べた。
男子の中学の偏差値表など、女子の時には見ないから、予備知識も少なく新鮮だったからだ。
公立中学からも、優秀な学校に進学する者はいくらでもいる。
中学で不満を持って私立に進学するなら、高校受験で納得のいく学校に入ればいいという意見は、親子で一致した。
だから、息子は試し受験以外は、入学する意思のない学校は受験しなかった。
強気の受験だった。
そのために、野球も辞めた。
第一志望は叶わずひやっとした受験だったが、現在私立で充実した毎日を過ごしている。
入学当初は、なじめるか本人は不安だったらしいが、しっかり自分の居場所を築いた。
親としても、学校に好感を持ち、入学してからの方が印象がいい。


中高の6年は、子どもにとって大きな転換期である。
どんな場所で、どんな人達と、どんな影響を受けて成長してゆくのか・・・・。

もし、あの時・・・・
そんなふうに、別な選択をした場合を想像する事はあるが、未熟ながらも精一杯の愛で頑張ったのだと思いたい。

中学受験は、親子で頑張るものだと思う。
同じ目標に向かって、二人三脚で頑張る。
受験を通して、時に意見をぶつけ合ったり、時に意思を確認し合ったり・・・・
ともに泣いたり笑ったり・・・
子供たちの友人親子の話を聞いても、フレンドリーに非常によく話をしている家庭が多い。
親も過干渉という程ではないが、子どもを理解しようという努力をしている。
彼らは、ともに中学受験を戦った同志なのだと思う。
親子で同じものを見て同じ事を経験する事は、素晴らしい事だと思う。
中学受験をともに過ごした母達は、今は息子の部活の追っかけをしている。
照れ屋の息子に「来るなババァ!」なんて言われても、彼女は気にしていない。
息子の本心ではない事を、知っているからだ。
そして、歓声を上げている。
これらは、中学受験の副産物だと思う。
我が息子も「来るんだろ?」と当たり前のように言う。
まぁ、彼は野球の頃から慣れっこなのだけど・・・。

いつまでこうしていられるかわからないけど、できるうちは子供の目線で、彼らの世界を見ていようと思う。


子育てもまた、「一期一会」。
今日の息子は進化し続け、明日は別な少年になっているからだ。

悔いなき今を生きよう!


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【2008/01/18 10:31】 | 記憶のかけら
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子供が苦しんでいる姿をみる事くらい、親にとってせつない事はない。
助けてあげたくても、子どもの世界は広がり、親の手の届かない所へすすんでいる。

初めて幼稚園に子供を預けた日を覚えているだろうか?
大海原に小舟を送り出すような不安を。
人ごみの中に消えてゆく小さな背中を。
社会に子供が歩みだす第一歩を。

長く生きている親は、子どもの行く手に先回りし障害物を排除し、子を守ろうとする。
あるいは傷ついた子供の為に、精一杯なケアをし続ける。

けれど、子どもを取り巻く環境は、どんどん大きくなって…。
いつか、親にもどうしようもない問題と直面してゆく。

世の中の理不尽さ。
自分の無力さ。
自分自身に対する不満。
一人の力ではどうにもならない問題。
自分に非が無いのに、降りかかってくる困難。

本人が乗り越えてゆくしかない数々の問題。
親は、それをただ見守るしかない。
時には、気づかないふりをして。
時には、さりげない言葉で励まし。
共に怒ったり、共に嘆いたり…。
親にできる事は、それくらいになってきた。

彼らが成長する過程で、その時その時のテーマがある。
クリアできない限り、幾度となく訪れるその課題と向き合う事になる。
そこを超えない限り、その苦悩はまた訪れる。

子供でも大人でも、問題を打開するのは、自分自身なのだから。

見ているのはせつないけど、それでも私は眼をそらさないでいよう。
彼らの歴史を、この世に生を受けた瞬間から記憶しているのは、母親である私だけなのだから。

ファイト!
いつでも母は、君達の応援団長だよ!


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【2007/11/24 09:54】 | 記憶のかけら
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末っ子が生まれて間もない頃、氷川神社のそばのお地蔵さんの所で、見知らぬおばあさんに話しかけられた。
「あんた・・・今時3人も育てて偉いね〜。
 あたしらの頃は、子どもは3人生んで一人前だと言われたんだよ。
 あんた〜一人前のお母さんだ。
 今に良い事があるから、がんばんなさい。」
未だに、どこのおばあさんかわからない。

当時の私は、もう3人抱えて自己嫌悪の毎日。
長女には、してあげたい事をしてあげられず、次女は幼稚園に入ったばかり・・・末っ子には手をかけられず・・・結構落ち込んでいた。

長女の時は育児の本を片手に理想に燃え、気合いは十分だったけど空回りで神経質だった。
次女の時は、今度こそはと力んでいた。
末っ子の時には、余裕もなく毎日が必死で開き直りの日々だった。
けれど、神経質な私には、それが丁度良かったのかもしれない。
一番自然体だったのは、手抜きだった3番目の育児だったような・・・。

苦しい時、あのおばあさんの言葉を思い出す。
「うん・・・。良い事いっぱいあるよ。」
まだまだ悪戦苦闘の毎日だけど、子供の為じゃなきゃ絶対やらないと思う事を挑戦してきた日々・・・ずいぶん図太くなりました。

あのおばあさんは、私にとって「育児の神様」だったのかもしれない。
神様・・・今日も頑張ってます!

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【2007/11/04 14:29】 | 記憶のかけら
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急に寒くなって、昨日は靴下をはきました。
こうなると長袖の秋服を出さなきゃいけないし、寝具だって心配!
長男の熱も、ディズニーシーでタワーオブテラー?の前の噴き上がる噴水で友人と遊び濡れただけではなく、季節のせいかも・・・。
実は我が家には真っ赤なミッキーのジュニア毛布がある。
もともとは、子どものために買ったものだけど、我が家で今や一番チビの私が使っている。
私は冷え性なので、夏もしまっていなかった。
ところが縁がほつれてしまって、縁をくるんでいる布がビロ〜ンと垂れ下っている。
足を引っかける程度なら・・・と放っておいたらドンドンひどくなった。
想像力のたくましい私は、寝ながら首に絡まる自分を想像した
その恐怖から、使用をためらっていたのだけど・・・。
久々にミシンで修理した。
このミシンは、妹の花嫁寝道だった。
松田聖子ちゃんが宣伝していた「しゃべるミシン」だった。
私の結婚時に買ったミシンと同じものだった。
裁縫が不得意の妹は、私と同じものさえ買っておけば、教えてもらえると思ったのだ。
けれど・・・押し入れの中で眠っていた。
そこで、私のミシンがおかしくなった時に買い直した新しいミシンと交換したのだ。
買い直したミシンより、はるかに性能がいいミシンだったからだ。
実はこのミシンも具合が悪くなったのだ。
あきらめきれない私は、修理に出してみた。
すると生き返ったのだ。
今、後悔しているのは、私のミシンも修理できたのではないかという事だ。
それを思うと寂しい。
結婚時に、価値もわからず適当に「あれでいい。」と言って、親に買ってもらったミシンが、最新式の高価なものだった事を知ったのは、壊れて買い直す時だったのだ。
子供が家庭科室で使うミシンとはボビンのサイズが違って文句を言われたけれど、新しいミシンより私には、この方が良かった。
そのミシンも、忙しく最近は出番が無かった。
しかし、この毛布の修理は絶対ミシン!
「もったいながり」の私は、直せるものならなんでもなおす。ジグザグ縫いにして1周縫ったから、もう大丈夫!
娘達が小さい頃は、よく活躍したミシン。
手作りのものも多かった。
先日の娘との会話で
「好きだった音」という話になった時、次女が「お母さんのミシンの音」と言った。
なんだか・・・・すごく嬉しかった
私も、母が仕事の無い土日に、私の為に洋服を作ってくれる時のミシンの音は好きだった。
今は、花嫁道具にミシンを持っていかない人が多いらしいけど、子どもは親に倣う(ならう)もの。
母の手作りを喜んだ子は、親になったら挑戦するのかもしれない。
残念ながら、私は母ほど上手ではないし、向き不向きはあるけど・・・ね

仕事もあるから、さしあたってはちょっとだけ着れるものを出しておこう!

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【2007/09/30 14:22】 | 記憶のかけら
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日本で有名なウサギといえば・・・
亀との競争に負けたウサギ?
カチカチ山でタヌキを懲らしめたウサギ?
大黒様に助けられたウサギ?
・・・これらがうかんだ人は、
昔話大好きな人か・・・オバサン・・・?
だって、子どもに聞いたら、
ブルーナのミッフィー(うさこちゃん)か、ピーターラビットだろうから。
ディズニー好きなら、アリスのウサギもありかな?

ピーターラビットの作者のポターさんのドキュメントを見た事があったけど、映画も観たいなぁ・・・。
風景に癒されるかも・・・。
「赤毛のアン」とか、外国の田舎の風景って、素敵ですよね!

以前の私もうさぎといえば、思い描くのはそうだった。
しかし、私にとって最近は「うさぎ」といったら、
実家にいた兄が買ったという兎!
飼った?というか面倒をみたのは母だったらしいが・・・

兄がなぜ兎を?と聞いたら、
「兎年だったから。」という。
「ちょっとついてない毎日だったので、干支の動物でも飼ったら運がよくなるかなぁ。」・・・と思ったと言う。
人間追いつめられると何を思いつくかわからないものだ
それを聞いて兄が苦労しているのを実感した。
面倒見がいいはずのない兄なので、母に預ける事になり、
名もないそのウサギは母の話し相手になっていた。
(・・・つーか、名前くらいつけてよ)
「近所の人は、私が呆けたとおもうかもね〜」なんて言いながら、
ウサギに語りかけていたらしい。
私は、囲いしか結局みておらず、思いだそうにも映像がない。
母が「ピーターみたいな子」と言った事から、
記憶の中の小屋の中には、・・・ピーターがいる訳です。
穴を掘って脱走し、悠然と芝生の上で休んでいたり、
退屈な母の毎日に、潤い?を与えてくれていたのだとしたら、
兄の気まぐれは、親孝行だったと言えなくもない。
しかし・・・ウサギで良かった。

牛や羊やイノシシだったら・・・とんでもないことになったろう


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【2007/09/15 10:27】 | 記憶のかけら
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小さい頃、母といた時には「お父さん似?」と言われ、
父といた時には「お母さん似?」と言われた
いたずら好きな叔父は「おまえは橋の下から拾って来た」と言った
危うく、信じるところだった

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【2007/09/05 13:13】 | 記憶のかけら
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