存在してても気づかれない。特に役にもたってない。それでも、元気にやってます。
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息子がラグビー部をやめて陸上部に入った時は、複雑な思いだった。
そうなんです・・・寂しいですよ。
もう、いーちゃんと語り明かしたいくらいでしたよ!
でも、ほんとうに運動部で学んだ事は、彼を大きく成長させたと信じている。
それは、彼の財産だと思う。
これからどうなるかわからないけど、ずっと応援しているよ!

「野球をやめてラグビー部に入った時に心配して辞めて欲しそうにしたくせに、やめたらやめたで不満かよ。」なんて苦笑いして息子に言われたけどね。
だって彼は、170くらいの身長で体重は60㌔もなかった。
その体で、第一センターをしてた。
ラグビーを知っている人なら(いーちゃんなら、)彼がどれだけ無理していたかわかるはずです。
合宿で死ぬほど食べさせられても、痩せて帰ってきたし、いつも傷だらけだった。
その体で、敵の180はある巨体の相手の選手にタックルして脳震盪。
救急車で菅平の病院へ。
去年のチームはフォワードが弱かった。
フォワード陣は敵の攻撃を止められず、バックスは最後の砦として捨て身で倒すしかなかった。
フルバックが攻撃に加わっていた事も多く、息子は自分が止めなければと守備に力を注いだ。
チームも認める守備力だったようだ。
でも、思うように体は大きくはならない。
東京都選抜を受けた事があった。
残念ながら、選ばれなかった。
だから、そこに集まる人達のレベルも知っていた。
体に不安があったのだと思う。

中2の時に40度の熱で、大切な試合を休んだ事があった。
チームは苦戦したが、なんとか勝った。
1週間後の試合、彼は病み上がりだった。
コーチはセンターは無理と判断し、ウイングでの出場の予定になった。
しかし、セカンドの主将から呼び出された。
「おまえがセンターやらないと勝てる気がしない。センターをやってくれ!」
息子はその優秀な先輩を尊敬しており、その言葉を誇りとし病み上がりで最初から最後までセンターとして戦った。
チームは勝ち、みごと大きな大会の切符を手に入れた。

中3の最後の試合は、部員のトラブルの中の悪条件。
彼は38度の熱で、センターとして戦った。
体をはって戦い、トライを決めた。
泥だらけでむくんだ顔は、体調のせいかと思っていたが、泣いたというのが真実だったと後で言われた。
「最後の試合だと思ったから」

ラグビーがチームで戦うスポーツだという事を、誰よりも感じていた証拠だと思う。
その精神力は、ラグビーで身につけたものだと思う。
突進してくる自分よりはるかに大きな男を前にして、退かず突っ込んでいかなければならない時。
「そりゃぁ、怖いよ。」と笑っていた。
骨折した先輩も、脳震盪で運ばれた先輩も多く見てきた。
中1入部したての頃、部員が集められた時に、「整形外科か・・・?」と思ったという。
故障者が、たまたま多かった時だったようだ。
危険なスポーツだと、感じていたんだと思う。
「保険証を持って、応援においで。」という先輩ママの冗談も笑えなかった。

・・・もう、そういう心配はいらない。
でも試合後に会場校の水道で、みんなでシャンプーしたり、ラガーマンの陽気なバカ騒ぎは楽しそうだった。
中学の3年間で、彼が部活から学んだ事は大きい。

自分の体を考えて、引き際を考えたのだろうか・・・・彼は真意を語らない。
それが彼のプライドなのだろうか・・・。

先輩が声をかけた。
小学校時代の恩師が「この体がもったいない!」と言ってくれた。
最後にラグビーにもどる決心をした仲間が、息子に一緒に戻ろうと言った。
これが最後のチャンスだと思ったが、彼は戻らなかった。

そして・・・彼は陸上に入った。


ラグビーはなじみのないスポーツだった。
でも息子を通して知ると、あのスポーツの興奮は他では味わえない。
同じように息子がラグビーをやめてしまった、大阪出身の友人がいる。
「時々、無性にラグビーの試合がみたくなる。自分の子がやらないなら、あなたの息子さんの応援に行こうと思ってたのに・・・・。」と残念がられた。
わかるような気がする。


試合を勝ち進むほど、相手のチームの選手が大きくなっていた。
我が子がキャシャに見えるほどに大きな選手に突っ込んでいく姿を思いだす。
部屋の隅に転がっているラグビーボール。
タンスの隅にしまわれたマウスピース、ショルダーパット、ヘッドギア・・・・
大会出場に感動してOBが作ってくれた校章入りのジャージ(トランクス)・・・
不思議な事に、陸上の練習でひとり近所を走りこんでいる時に着ている服は、カンタベリーのラグビー部時代の練習着だ。

それらを目にする度に、フラッシュバックする思い出。
でも私は、そんな気持ちを彼の前ではおくびにも出さない。
彼もまた、ふれない。
いつか・・・彼が本音を言う日まで。


昔、松任谷由実の「ノーサイド」の意味がわからなかった。
今は・・・よくわかる。

彼の着たユニホームを着て、後輩が走る。
でも私にとって、あの番号は永遠に息子の番号だ。



今度は、陸上競技場通いになるんだろうけれど・・・・。


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「野球をやめてラグビー部に入った時に心配して辞めて欲しそうにしたくせに、やめたらやめたで不満かよ。」なんて苦笑いして息子に言われたけどね。
だって彼は、170くらいの身長で体重は60㌔もなかった。
その体で、第一センターをしてた。
ラグビーを知っている人なら(いーちゃんなら、)彼がどれだけ無理していたかわかるはずです。
合宿で死ぬほど食べさせられても、痩せて帰ってきたし、いつも傷だらけだった。
その体で、敵の180はある巨体の相手の選手にタックルして脳震盪。
救急車で菅平の病院へ。
去年のチームはフォワードが弱かった。
フォワード陣は敵の攻撃を止められず、バックスは最後の砦として捨て身で倒すしかなかった。
フルバックが攻撃に加わっていた事も多く、息子は自分が止めなければと守備に力を注いだ。
チームも認める守備力だったようだ。
でも、思うように体は大きくはならない。
東京都選抜を受けた事があった。
残念ながら、選ばれなかった。
だから、そこに集まる人達のレベルも知っていた。
体に不安があったのだと思う。

中2の時に40度の熱で、大切な試合を休んだ事があった。
チームは苦戦したが、なんとか勝った。
1週間後の試合、彼は病み上がりだった。
コーチはセンターは無理と判断し、ウイングでの出場の予定になった。
しかし、セカンドの主将から呼び出された。
「おまえがセンターやらないと勝てる気がしない。センターをやってくれ!」
息子はその優秀な先輩を尊敬しており、その言葉を誇りとし病み上がりで最初から最後までセンターとして戦った。
チームは勝ち、みごと大きな大会の切符を手に入れた。

中3の最後の試合は、部員のトラブルの中の悪条件。
彼は38度の熱で、センターとして戦った。
体をはって戦い、トライを決めた。
泥だらけでむくんだ顔は、体調のせいかと思っていたが、泣いたというのが真実だったと後で言われた。
「最後の試合だと思ったから」

ラグビーがチームで戦うスポーツだという事を、誰よりも感じていた証拠だと思う。
その精神力は、ラグビーで身につけたものだと思う。
突進してくる自分よりはるかに大きな男を前にして、退かず突っ込んでいかなければならない時。
「そりゃぁ、怖いよ。」と笑っていた。
骨折した先輩も、脳震盪で運ばれた先輩も多く見てきた。
中1入部したての頃、部員が集められた時に、「整形外科か・・・?」と思ったという。
故障者が、たまたま多かった時だったようだ。
危険なスポーツだと、感じていたんだと思う。
「保険証を持って、応援においで。」という先輩ママの冗談も笑えなかった。

・・・もう、そういう心配はいらない。
でも試合後に会場校の水道で、みんなでシャンプーしたり、ラガーマンの陽気なバカ騒ぎは楽しそうだった。
中学の3年間で、彼が部活から学んだ事は大きい。

自分の体を考えて、引き際を考えたのだろうか・・・・彼は真意を語らない。
それが彼のプライドなのだろうか・・・。

先輩が声をかけた。
小学校時代の恩師が「この体がもったいない!」と言ってくれた。
最後にラグビーにもどる決心をした仲間が、息子に一緒に戻ろうと言った。
これが最後のチャンスだと思ったが、彼は戻らなかった。

そして・・・彼は陸上に入った。


ラグビーはなじみのないスポーツだった。
でも息子を通して知ると、あのスポーツの興奮は他では味わえない。
同じように息子がラグビーをやめてしまった、大阪出身の友人がいる。
「時々、無性にラグビーの試合がみたくなる。自分の子がやらないなら、あなたの息子さんの応援に行こうと思ってたのに・・・・。」と残念がられた。
わかるような気がする。


試合を勝ち進むほど、相手のチームの選手が大きくなっていた。
我が子がキャシャに見えるほどに大きな選手に突っ込んでいく姿を思いだす。
部屋の隅に転がっているラグビーボール。
タンスの隅にしまわれたマウスピース、ショルダーパット、ヘッドギア・・・・
大会出場に感動してOBが作ってくれた校章入りのジャージ(トランクス)・・・
不思議な事に、陸上の練習でひとり近所を走りこんでいる時に着ている服は、カンタベリーのラグビー部時代の練習着だ。

それらを目にする度に、フラッシュバックする思い出。
でも私は、そんな気持ちを彼の前ではおくびにも出さない。
彼もまた、ふれない。
いつか・・・彼が本音を言う日まで。


昔、松任谷由実の「ノーサイド」の意味がわからなかった。
今は・・・よくわかる。

彼の着たユニホームを着て、後輩が走る。
でも私にとって、あの番号は永遠に息子の番号だ。



今度は、陸上競技場通いになるんだろうけれど・・・・。

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【2009/08/05 21:08】 | boys&girls
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