存在してても気づかれない。特に役にもたってない。それでも、元気にやってます。
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先日仕事が忙しい時に電話が入った。
短く切るつもりだったが、母の声のトーンに何か引っかかった。
「今いそがしいから・・・」と言えば、すぐに仕事に戻れたが・・・。
娘の勘だろうか・・・。
両親とは19年弱しか暮らしてないが、わかるのだ。
母は、母の姉・・・つまり私の伯母を見舞いに行った。
母にとって一番上の姉だが、高齢となり老人の介護センターに入っていた。
私にとって初耳だった。
伯母宅は、夏休みには小学生くらいまで泊まりに行った。
乳牛がいて従姉妹のお姉さんが2人いて、2人とも美人で居心地が良かった。
私にとって思い出深い伯母一家の現在を、私は知らなかった。
それだけ、私は実家に帰っていないという事だった。
それだけ、母の話し相手になっていなかったという事だ。
母は、伯母の姿にショックを受けていたのだ。
働き者の伯母だった。
社交的ではなかったが、つつましやかな人だった。
長女が跡をとり、長女夫婦と暮らし、二人の娘の子供たちの世話をした。
高齢になり、老人特有の症状が出始め、脳出血を起こし・・・。
家族では介護に限界がきて・・・・。
伯父がずっと世話をしていたし、今もセンターに通っている。
二人の娘達も通っている。
二人の従姉も、家事を手伝う優しいお姉さんたちだった。
婿取りの娘は、実母を当てにするので、共働きの娘は家事など伯母に依存し、伯母は楽ができないとこぼしていた時期があった。
しかし、やはり二人の娘達がいる事は幸運だと私が言うと母は静かに言った。

「・・・でもね。どんなに今してくれたって、もう本人はわからないんだよ。わかる時にしてくれなかったら、わからないままなんだよ。」

介護の大変さを母は知っていた。
別宅に住んでいる兄夫婦も忙しい。
娘二人は遠くに住んでいる。
「自分が、もしそうなったら、施設にでもいれてもらうしかないだろう。」
と言う。
子供達はみな、自分の家庭を守ることで一生懸命だから、じぶんのために時間をさけないとあきらめているようだった。
父が亡くなり、母は一人の夜と一人の朝を、どうやって過ごしているのだろうか。
老いるといういう事を受け入れながら、ただひとりで過ごす毎日を想像する。
何か言わなければ・・・と思いつつも言葉が出なかった。
行き当たりばったりの白々しい嘘で、ごまかされるような母ではない。
彼女が私に言った素直な言葉は
「なんだか・・・気持ちが重くなっちゃったからさ。」

母はどうにか私に話して、気を落ち着けたようで電話を切った。
それから私は妹にメールをして、母の様子を伝えた。
妹は週末、実家に顔を出すと言っていた。
私は重い気持ちを引きずって仕事に戻ったが、それ以来母の言葉が離れない。

「わかる時にしてあげなかったら、本人にはずっとわからないままなんだよ。」

あまりに近すぎると「言わなくても分かり合える」と思ってしまう。
だから甘えてしまう。
「大好きだよ」
「愛しているよ」
「大切に思っているよ」
言わなければ伝わらないという事を、父を失った時に心に刻んだ。
それ以来、夫や子供たちにも、声に出して言っている。
恥ずかしいとか照れくさいとか、そんな小さな事で言わずにいて、もし伝えられなかったら一生後悔すると思った。
おかげで家族にとって私の「大好きだよ」は、重みを失っているようだが・・・。
でも、いつか彼らが私の言葉を思い出して、自分を誇りに思ってくれたら嬉しいと思う。
私が孤独な夜に自己嫌悪で眠れぬ夜に、親に愛されているという事を支えにできたように・・・。

今日も母は私に電話をかけて来た。
「朝顔の双葉が黄色くなったんだけど、大丈夫かしらね?」

農家育ちの母が、植物の事で私に尋ねる事なんかあるはずがない。
私の花好きの原点は、母だからだ。

春に日帰りのハードスケジュールで訪ねた時、私は母に向日葵と西洋朝顔の種を強引に渡してきた。
「ぜったい蒔いてよ。咲く頃、見に来るからね!」
向日葵と朝顔は私の期待通りに、母が私に電話する口実を作ってくれている!
向日葵は、地面に植えている母のものに、我が家のベランダ育ちのものが、かなうはずがなかった。
でも、朝顔は昨日一輪咲いた。
母は驚き、「我が家は未だ」とちょっぴり悔しそうに言った。
西洋朝顔を母が育てるのは、初めてだろう。
「蕾のつき方や葉の形など、微妙に違うから見てみて」というと、彼女はいつもの明るい声で、蕾を探そうと言った。

老いるという事。
その孤独を、分かち合える連れ合いがいるのは、とても幸せな事なのだと思う。
ふと、毎日会っている夫に会いたいと思った。

母は、受話器を置いたら庭に出ただろう。
それからひまわりの花芽を観察し、朝顔の蕾を探しただろう。
そして、娘のベランダに咲いたという朝顔を想像するのだ。

そんな母を思い、私もベランダを眺めた。
今日は晴れて高層ビル群が奇麗だった。
母が眺める空も、青く輝いていたに違いない。
朝顔の蕾の報告も間もなく届くだろう。
今年の夏は、彼女の自慢の向日葵と朝顔を見に行こう。

夏の庭は、父も愛でた百日紅や夾竹桃が咲いているだろう。
父がしていたように、母の自慢の花々を誉めよう。

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【2007/06/24 00:48】 | 生活
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